4.まとめる(編集)
動画制作は、大きく分けて「撮影(取材)」と「編集」の2つから成り立っています。
撮影者は、せっかく苦労して撮った素材は、できる限り生かしたいと思っています。しかし、視聴者にとって、その苦労を見させられるのは、時間の浪費になります。
そこで、この素材を、編集によって、大胆に削ぎ落としていき、伝えたいメッセージを浮き上がらせていくことが大切です。
一番関心を持っている場面から編集を始める
編集作業を行う際の順序としては、一番自分が関心を持っている場面、伝えたい場面を見つけ出すことから始めると良いでしょう。
最も伝えたい場面は何か?が定まったら、それを基準にして、より効果的になるように、場面の順序を並べ替えていくことができるからです。
たとえば、ある人物が、今、行なっている行動に注目してみます。そして、どうして、そういう行動をとることになったのかの理由を過去に遡っていくと、意外な出来事があった!…という具合です。
つまり、動画は、連続したイメージをつなぐことで、過去・現在・未来といった「時間」を再構成していくことになります。
その際に、カギになるのが、「場所」です。
「時間」より「場所」を意識してつなぐ
動画編集では、「時間の流れ」が大切ではありますが、時間軸だけで構成しようとすると、よくわからなくなったり、見づらいものになることがあります。そこで、「時間の記憶」よりも「場所の記憶」をメインに構成すると、とても見やすいものになります。
人がある記憶を呼び覚ますには、その場所を訪ねることによって鮮明になります。今、いる場所がどういう場所なのか、山奥なのか都会なのか、どんな立地にあるのか、そういう場所から、目的の建物に入ります。
教会堂や聖堂、集会室などに入っていって、その中の椅子に座ると、ふと初めてここを訪ねた時のことを思い起こすことがあります。その記憶は何も自分だけのものではありません。
過去に様々な方々がそれぞれの思いでここを訪ねたという記憶、もう亡くなってしまった方の記憶さえ、場所によって思い起こすことができます。
このように、「時間」より「場所」を明確にして、編集をしていくと、視聴者が今見ている場面がどんなところなのか位置を確かめられるので、自然に動画の中に誘い込まれていくのです。
加工をし過ぎない
腕の良い料理人が、素材の味を引き出し、美味しい料理に仕上げるように、動画は、編集によって、何倍にも効果的なものに磨かれます。
その際、加工のし過ぎは禁物です。派手で、目をひく映像は、巷に溢れています。むしろ、素朴に真実を語る編集が、差別化に貢献するでしょう。
▽キリスト者の視点から
マルコ福音書に描かれた復活の場面を見てみましょう。
イエス・キリストの復活は、墓が空であること、そして、空の墓を見る人の、その反応を示すのみで、強烈な印象を残します。
「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失
っていた。そして、誰にも何も言わなかった。
恐ろしかったからである。」
新共同訳聖書 マルコによる福音書16章8節
見せるものと、見せない(見えない)ものとの境界線を意識することが、動画の「聖性」にとって、とても重要です。
この境界線のどこで線引きするかは、キリスト者としての姿勢を表します。
ハリウッドの著名脚本家ポール・シュレイダーは、「豊かな」手段ではなく「貧しさ」に、キリスト者が映像制作するときの鍵があると、指摘しています。
私が動画制作をする時の戒めにしている言葉を引用します。
「豊富な手段は、とくに映画監督が観客を回心させようとする場合には、監督にとって非常に魅力的なものになる。
というのは、それによって監督は比較的容易に、猛烈な無心論者をも、キリストの試練や苦悩に感情移入させることができるからだ。もっとも、だからといって監督が観客をキリストのところまで引き上げたわけではない。
むしろ監督は、キリストを観客のところまで引き下げてしまったのだ。超越者を表現しようとする監督は、これとは違った道を選び、豊かな手段とそれを支持する現世の正当化を徐々に無くして行かねばならない。超越者との対決の瞬間は、決定的な出来事が起こり、豊かな手段が力を失った時にはじめて到来する。」
ポール・シュレイダー著・山本喜久男訳『聖なる映画』(フィルムアート社、1981年、255頁)
5.広める(上映・配信)に続きます。
